プロフィール

1984年大阪府生まれの40歳、ずっと大阪に住んでいます。独身。
猫を2匹飼っています。雄の兄弟猫。
看護師を7年程やっていました。訪問看護では精神看護を行っていました。

幼稚園の時の思い出として、送り迎えのバスの中でいじめっこのような存在の男子に嫌なことをされた記憶があり、それが誰だったかも忘れられなくて、今も覚えています。

そのことがきっかけだったのか、ただ母親に迎えに来てもらいたかったからか、その時の詳細な気持ちまでは思い出せませんが、バスに乗ることを拒否した日のことを覚えています。この当時から集団生活が苦手だったことも覚えています。

中学卒業後に進学した高校は、環境に馴染めずすぐに中退し、その後フリーターとして二十代を過ごしました。

二十代半ばに勤めていた派遣先がリーマンショックの影響で契約終了になり、その後、元バイト先の同僚が紹介してくれた病院で看護助手として一年間勤務。その頃にちょうど、高校を出たい思いが湧き、通信制高校に入学し、3年間通いながら仕事をしていました。

病院の職場の看護師の方達に「看護師を目指したほうがいい」と勧められ、看護学校を受験するもどの学校にも合格できず、当時はそのまま諦めました。

その後、友人に「一緒に受けてみないか」と言われたショッピングモールのインフォメーション業務の仕事の面接を受けることになり、友人とは一緒に働くことができなかったけれど、2年程勤務。

その後29歳の時に、年齢の節目もあったのか、漠然とした将来の不安を感じ、定職に就きたい思いが出てきて、目指すべき職業はなんなのかを考えた時に、一度諦めた看護師しかないという結論に至り、一年間、失業保険を貰いながら勉強し、府内で一番偏差値が低いであろう看護学校になんとか合格し32歳の時に卒業しました。

今考えると、業界的に自分の気質では厳しい職種だったと思います。でもその時は、世間の目を気にするあまり、30代で独身、フリーターという肩書きのままではこの先世間から突き放される、切り離されてしまうような気がして怖かった。”就職しないといけない”という考えが強迫観念のような感じで自分に付きまとっていた気がします。

卒業後は病棟看護師を6年経験。6年目の時の病棟の環境やパワハラで問題のあった師長が異動で来たことや、自分の立場にプレッシャーを感じていたことなど、いろいろなことが積み重なって、初めて退職代行を使って仕事を辞めました。

その後は失業保険を貰いながら、一人でできる清掃のバイトを早朝だけするなどして一年間を過ごしました。

その時に近所にあった陶芸教室に通ったことがきっかけで、陶芸を学んでみたい思いが出て、翌年、職業訓練の陶芸校に進学するも、環境が合わず退校しました。

もう二度と看護師の仕事には戻ることはないと思っていたけれど、貯金も尽きてしまって、生活するために戻るしかない状況になってしまい、ただ年齢も40を迎え、夜勤をこなせる自信もなく、日勤だけの訪問看護職に就くことになりました。

その訪問看護もいろいろあり、8ヶ月で2回目の退職代行を利用し退職。現在に至ります。

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