二回目の退職代行を使った退職は、先月のことで
ちょうど一か月が経ちます。
2023年に、丸6年勤めていた病院を退職代行にて退職して(退職代行を使った理由)、
看護師の仕事は自分にはもう無理だと、
趣味だった陶芸を本業にしようと
一年休職期間を設けたのちに、職業訓練を利用して春に陶芸校に入学したのですが、
そこでも環境が合わず、夏まで頑張ってみたのですが、
やはり環境に適応することが難しかった。
円形脱毛症や蕁麻疹も出てきたりして、
蕁麻疹に関しては日に日に体中に広がり、
退校することを選びました。
毎月、生活のために職業訓練給付金というものを10万円貰っていたのですが、
退校することになった瞬間から、もうその月からの支給はなくなってしまうこともあり、
一人暮らしをしていたこともあり、貯金も底を尽きそうだったので、
取り急ぎ、看護師に戻ることしか選択肢がありませんでした。
その時は、なんとか生活のためにと必死でした。
この頃は、ちょうどパートナーと交際を始めたばかりの頃で、
パートナーは土日が休みの仕事なので、
合わせたいというか、病院勤務のシフト制勤務だと、
まったく週末休みがないわけではないけれど、
休みが合わないことで、心がすれ違っていくことが怖くて、
また、陶芸校で朝から夕方まで働き、週末休むという(早朝にバイトもしていた日も多かったですが)
病棟勤務の時にはできなかった規則正しい生活スタイルに慣れてしまっていたこともあり、
土日祝休みの看護の仕事を探すこととなりました。
その時にたまたま、前職の求人が出てきたこともあり、応募。
精神科に特化した訪問看護だったのですが、
精神看護に関しては、昔、看護助手として一年、精神科病院に勤めていたことがあり、
看護師としてキャリアを積んだ後、学べたらいいなと思っていたことや、
幼馴染が社交不安障害を患ってしまい、現在も苦しんでいることや
また、通っていた陶芸校の仲良くしてくれていた同級生が幻聴に悩まされていたり、
双極性障害になり休職していた期間があったという先生もいました。
これだけ自分のまわりだけでも、精神疾患を持ちながら
症状と付き合いながら生活を営んでいる人、罹っていた人が多いことや、
私自身も、精神疾患や発達障害があるのかもしれないと思うこともあり、
応募には躊躇なく踏みきれたと思います。
この職場は、面接を受けたその日に採用の電話があり、
勤めることになったのですが、
そこまで人が足りていないのかと、
その意味が、自分の退職する理由に繋がることになってしまうという
終わり方になってしまったのですが、
職場の人から聞いた情報によると、
私が入職する前に、たくさんの職員が大量に辞めていったそうです。
大きく話すと、社長が契約のことしか考えず、
一人一人の職員のことを思っていなかったとのこと。
私は去年の夏に入職したものの、年明けには所長が急に退職することになり、
私ともう一人の職員さんとで管理職を担わないといけなくなったことで
今思えばHSP気質だったことが原因なのかとも思うのですが
マルチタスクがうまくこなせないこともあって、
関係機関先と連絡を取り合うことも多くなったこともあって、
また、所長がいなくなった分、看護師がマイナス1になり、
所長が担当していた利用者さんの訪問を担当しなければいけなくなったこと、
また、同僚にお子さんが小さい看護師さんがいてたので、
発熱が続いて出勤ができなくなった期間が二度程あり、
さらに毎日の訪問件数が規定数を超えてしまったりしたこともあって、
仕事が終わり、帰りの電車の中、帰宅後も終わらず自宅でも看護記録を打つ、という日々を
いつからか送っていました。
でも、自分自身は気づかないんですよね^^;いっぱいいっぱいになっていることに。
目の前のことしか、見えないというか・・
そこで、前の所長が、退職の時に各関係機関先に挨拶の電話などをしていなかったことがきっかけで
ある関係機関先の方から、あることがきっかけですごいお叱りを受けたことがあって
そのことが心のコップの水が溢れたきっかけだったと思います。
その時は、30分以上お叱りの言葉を受けて
泣いてしまい、その泣きはらした目で次の利用者さんの訪問に伺い
当然、訪問に30分、連絡もなしに遅れたことになるので、
その利用者さんからもお叱りの言葉を受け、
辛かったなぁと今振り返っても思います。
その後は、持ち直したものの、
近隣の事業所の所長までもが退職するという情報が入り、
そこの事業所は、スタッフみんな管理職を担うことを拒否したそうで
その理由はあとになってわかったのですが
みんな管理職を任されてから体調を崩し、退職しているので、
会社はそういうことがあっても変える気がない、自分を守るために
引き受けなかったと、同僚から聞きました。
私は、所長が辞めるのは、しんどいからというのもあるんだろうなということは
わかっていましたが、管理職代理を頼まれて、まだ入職して半年であったことや、
精神看護についても新米で、名ばかりの管理職の立場になってしまうこともあり、
断ることももちろんできたのかもしれないけれど、
結局、誰かがしなければいけないと思ったので、受けたのもあります。
私以外の看護師さんはみんな時短勤務の主婦さんだったことも大きいです。
おのずと、消去法で、担わなければいけないのは、フル勤務の独身の子供のいない私になります。
その時は、断ると、裏で、独身なのにって思われてしまうんじゃないかという不安も
あったと思います。
近隣の事業所のスタッフの方達は、ここに勤めて長い人が大半で
それならば、うちの事業所の所長がいなくなり、
私達が管理職代理を引き受けてしまった時に
少し声をかけてほしかったなと感じたことも本音です。
また、職場には若い精神保健福祉士の女の子もいたのですが、
営業活動や看護部長の秘書役にもなっていて、その子もだんだんと業務量がパンク寸前になってきていたようで、しんどそうな様子が見受けられていました。
ある日の終礼後に、もう一人の管理職を担っていた看護師の人と、私とその子の3人で、その子がいっぱいいっぱいになってそうなこともあって(私は自分の心配をするべきでしたが^^;)、
このままで大丈夫か話し合いをすることになったのですが、
結局は、私がしんどくなっていることは言わないでほしいし、仕事自体は楽しいからという結論で
上の人には言わないこととなりました。
また、その子のことを私たちが心配に思っていたことがきっかけで、もう一人の看護師さんが
このような時間外に時間を設けて話し合いをしたのにも関わらず
「今日この話し合いをしたことは〇〇(近隣の事業所)の人達には言わないで欲しいです、今日、所長の送別会をやっているみたいで、断ったんですけど私も誘われていたので」
と、言ってきました。
なんか、その最後の一言で、すごくショックを受けたというか、
なにか、とても悲しい気持ちになりました。
間違ったことは言っていないし、なぜそんな気持ちになってしまったのかは
わからないんですけど・・
実は、この話し合いを行った日は金曜日で、いつも残業の日々ですが
彼氏が静岡に出張中だったので、仕事の後、新幹線に乗って私も静岡に行き、
土日を静岡で過ごす予定がありました。
なので、仕事をなんとか切り上げて、定時で帰る予定だったこともあり、
それが結局、なんの意味もない話し合いになったこと
そのせいで静岡に向かう時間が遅くなってしまったこと
なにより、
いろんな事が重なりに重なって
その時は、辞めることは考えていなかったんですが
月曜日の朝、頭がフリーズしてしまったかのように、行けなくなってしまっていました。
また燃え尽き症候群になってしまったこと、
今までも、自分が休んだら誰も利用者さんの訪問に行くことができない状況から
精神的にしんどい時も体に鞭を打ち、休まずに出勤してきたものの
やはりまた、糸が切れたように
出勤することができなくなった。
ほんとうに、いつまでこんな風にして、迷惑をかけ続けるのか。
いつまで街中でばったり会ってしまったら気まずくなる人を増やしていくのか。
ちょうど一ヶ月が経ちますが、
いまだにしんどくなります。
前を向いていくしかなく、もうこれ以上、私が自分の気質と
うまく付き合うことができないことで誰にも迷惑をかけたくない思いで
いっぱいです。
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